鶏頭(ケイトウ)のその後と細い銅線
明日から9月。
コオロギ達が夜、にぎやかです。
そろそろケイトウをまいて2カ月になりますよ。
どんな具合でしょうか。
かなり小さく薄い鉢ですが、所によりヨレヨレながらもどうにか生きています。
大野さんのアドバイスに従って二重鉢にしてから、乾きと絶望のためにうなだれてしまうこともなくなり、根も多少しっかりしてきました。
この鉢は短冊のような感じ。
細い長方鉢ね。シャレてます。
大きくならずに育ってくれていますが、まだ花を咲かす雰囲気はないです。
これくらいで開花してくれたら万々歳ですね。
今後に期待いたしましょう。
おまけですが、先日ホームセンターを見ていたら、細い銅線を発見。
100円くらいで小分けして売られていました。
かなり細かく太さが分けられていたので、0.45ミリ、0.55ミリ、0.9ミリと、3種類買っておきました。
細い挿し穂や、根がまだしっかりしていない挿し木素材を鉢に固定するのに講師が使っていたのですが、ネットで買うと随分な量を買うことになるのでちょっと迷っていたところでした。
今日使ってみましたが、かなり勝手が良い。
また思う存分挿し木が出来ます笑。
夕立の記憶
最近、うちの裏の、樹が茂るよそ様の庭のほうからキンモクセイの香りがしてきます。
不思議なもので、昼間、視界がはっきりしている時よりも、夜の涼しい時間帯のほうが、匂いがより鮮明に感じます。
ある感覚を抑えると、別の感覚がはっきりしてくるという人体の仕組みのせいでしょうか。
明るい部屋で聴く音楽と、暗い部屋で聴く音楽は、、まったく音が違って聞こえます。
空気はたしかに秋のそれと変わり、体感的にも秋の気配。
もう夏も終わりが見えてきたかのような、そんな気候です。
ところで、最近よく思うのですが、「夕立」という言葉を聞きません。
私のまわりでは皆、口を合わせたかのように「ゲリラ豪雨」というのです。
そこで、ちょっとその違いを調べてみました。
『ゲリラ豪雨は一般の気象用語ではありません。
一部のマスコミと気象会社が使っている用語です。
正しくは、局所的大雨、局所豪雨といいます。
名前の通り、狭い範囲に降る大雨のことです。
発生は、雷雲によるもので、その意味では夕立と同じです。
夕立は、それほど雨量が多くならない雷雨、といっていいでしょう。
正式な定義はありませんが、局所的大雨、局所豪雨と呼ぶ場合は、
道路の冠水、住宅の浸水、下水や小さな河川の氾濫などの災害を伴うほどの
雨が降った場合に、そう呼びます。
簡単に言うと、災害を伴う雷雨は、局所的大雨、災害が出ない雷雨は夕立、
といっていいかもしれません。
災害が出ない程度の雷雨は、降った後暑さが和らぎ、野菜などには慈雨ですが、
災害が出るような雷雨は、やはり恐怖ですよね。
雷雨の発生原因はいろいろありますが、
一般には、気温が高くなって上昇気流が発生して、雷雲に発達するのですが、
局所的大雨となる雷雲になるには、気温の上昇だけではなく、上空に冷たい空気が
入ってくる、海上から暖かく湿った空気が大量に入ってくる、などの条件が加わります。
ですから、局所的大雨が発生しやすいかどうかはある程度予測できるのですが、
何時、どこで発生するか、と言うことは、残念ながら今の予測技術ではそこまで
予測できません。
そのために、気象レーダなどで、雷雲の発達状況を監視して、直前の情報を
発信する、と言う方法がとられています。』(tenki.jp)
ゲリラ豪雨は狭い範囲に突然降る大雨、それはわかるのですけどね。
なるほど・・・しばし考えて、わかってきました。何故私がこのことに執着することが多いのか。
名前が格好悪いのです笑。
「ゲリラ」という言葉が天気に使われていることに面白味を感じません。
それと私、「夕立」というものに、特別な思い入れがあるみたいです。
『うだるような夏の午後、ふっと空が暗くなったかと思うとどこかで雷鳴が聞こえ出す。冷たい風がさっと吹いてきて水の匂いがし、「来るな」と思うやいなや、ざあっと激しい雨が降り始める。家にいる人は慌てて洗濯ものを取り込み、道行く人は雨宿りに走る。ひとしきり降ると、雨は嘘のように上がり、涼しい夕方がやってくる。
これはごく典型的な例であるが、日本の多くの地域で夏のあいだ繰り返されるこうした体験が、日本の夏の風物詩としての夕立である。』
ウィキペディアさんにはこう説明されていました。
めずらしく良い文章じゃないですか笑。
うん、もしかしたら、夕立って本当に、「体験」なのかも知れないですね。
砂っぽい雨の匂い。
私にとって、夕立といえば、これこれ。
夏の強い日差しで乾き切った地面に突然雨が降ると、雨にまじって砂の匂いがします。
この匂いの感覚は、匂いの記憶と結ばれていて、思いは少年時代の視覚的にはぼんやりとした、しかし嗅覚としては妙にはっきりとした記憶を、束の間泳ぎます。
子供というのは小さくても、案外多くを感じ、多くを考えているものですね。
その中でも嗅覚が関わると、その記憶は更に深いところへ保存されるかのような印象があります。
さて、話を戻しますと、このような、感覚の記憶と思いが詰まった夕立が、私は好きです。
もしかしたら、好き嫌いとは別の次元のものかも知れませんね。
だからゲリラ豪雨なんて味気ない言葉に夕立が浸食されることに、少し淋しさを感じるのでしょう。
夏が過ぎ去ってしまう前に、ちょっと斜に構えてみました。
成形した鉢を一蒼さんへ送る
今年は盆栽の方で手一杯だったので鉢はあまり作れていません。
作ったものも、時間をかけずに作れる簡単なもの。
気持ちに余裕がなかったので、これは仕方のないことですね。
でも、樹を見ていると、あんな鉢を、こんな鉢を作りたいとイメージが湧いてきます。
そろそろ気持ちにも余裕が出てきましたし、鉢の方も頑張りたいところです。
今日、とりあえず今まで作った分を一蒼さんのところへ送りました。
諸事情のため、全て焼き締めです。
粘土は、以前焼いてもらったテストピースを参考に、朱泥、黒泥、白土などを混ぜたもの数種類を使って成形してみました。
今回は、粘土がどんな感じに焼けるのか、それが大きな楽しみ。
釉鉢を焼く隙間に入れていただく形になるので、1250度の、恐らく還元焼成。
カチンカチンに焼き締まってしまいますが、今はそれで良しとしましょう。仕方ないですから。
今回のものは、とにかく素朴な作りが多いです。
こんなのとか。一応楕円です。
あと、手びねりの縁に初めて縄目をつけたものもありましたね。
初めてにしては縄っぽいでしょ。
土は。。。忘れてしまいましたが笑、朱泥と黒泥を何かしらの比率で使ったはずです。
何気なく作ったわりに、出来上がって結構気に入っています。
焼き上がりはどんなでしょうか。
今回は丸鉢ばかりでした。
長方とか楕円とか、その他の形も試しはしたのですが、どうにも気持ちが続かなく、ちょこっと作りはしましたが、出来は・・・微妙?
足が私にとっては足が長過ぎ?ちょっと頼りない?でも、たまにはアリかな?こういうのも。
いざ使ってみると、気に入ってなかったのが案外使えたり、気に入ってたものがあまり使えなかったりと、経験の浅さを感じることがよくあります。
これからはまた、手びねり以外の面倒臭いものも作りますか。
ちょっとそんな気分です。
私の鉢作りは、その時の気分でいかせていただきます。
八房のロウヤ柿(♂?♀?)
しばらく続く、曇りと雨の繰り返しという気候のせいでしょうか、米栂が根を鉢の縁まで伸ばし、脱走を試みているようです。
春の植え替えの際に表土にのせたミズゴケが取りきれずに少し残っているせいもあるのでしょうか。
しかし、雨続きでこれだけジメジメが続く中、こんなにきれいな根を動かしているということは、米栂君、案外こんな環境、嫌いじゃないのね?
さてさて、話は変わりまして、しばらく前に買ったまま手をつけずにいたロウヤ柿でも。
ロウヤ柿ばかり並べているお店で、八房ロウヤ柿として売ってました。
葉っぱがやけに小さいんです。
実生から出て来たそうですが、まだ花が咲いていないので、オスともメスとも言えないが、同時期のものでオスはもう開花しているので、おそらくメスではないか?とのこと。
だいたいオスが早く開花樹齢に達して、メスは後というのが多いんですって。
実際のところ、お店の方はそれを確かめるのを諦めたかのような顔をしていました。
もう引退するつもり?
樹は真っ直ぐですから、このままだと小さく作るのはキツイようです。
かといって、無理に針金をかけてもロクなことになりません。
まだメスと決まったわけではありませんが、来春にでも根伏せしてみましょうか。
せっかくなので剪定ついでに挿し木を試すのも良いですね。
もしかしたら着くかも知れません。
庭木の柿の木は秋になると、真っ赤だったり、緑、黄、赤のきれいなグラデーションだったりの紅葉を見せてくれますが、このロウヤ柿という樹にはそんな芸はないようです。
たしか、「柿紅葉(カキモミジ)」という言葉もあるのですよね。
実成りだけでなしに、紅葉まで楽しめたらいいのですけど。
カキの木といえば、そうそう、どこかで読んだ研究機関の記事に、挿し木はなかなか発根の確率は高くないが、夏に出るヒコバエを挿すとかなりの確率で根付く、というのがありました。
いつか試してみようと思ってやっていませんね。
同じようなものに、カラマツも、基本挿し木はあまり発根しないが、7月下旬に湿度をしっかり保って挿すと、かなり発根率が上がる、というのもありました。
試そうとしてやらずじまいのことって、けっこうありますよね。
荒皮性
全国の名人の皆さま、この幹を見て何の木だかわかりますか?
幹の割れ方からすると、ぼちぼち古そうな樹ですね。
幹の直径は1センチ程度と細いながらも、ちょっと貫録があります。
でも、松じゃないのですよ。
これ、実生して3,4年のリンゴなんです。
品種は確か、アルプス乙女だったでしょうか。
まいたうちのこれだけが、1年目から幹が少しだけ割れてきたのです。
昔、リンゴの実生にハマってたくさんまいたのですが、その中のひとつです。
この木の変わった所と言えば、もうひとつ。
幹に針金を1年かけてもまた元に戻ってしまうくらい、幹が柔らかい。
所詮実生ですからすぐに花が咲き実がつくわけでもないので、とりたてて誰かに話すこともなく育ててきましたが、
先日大野さんとお茶している時にチラッとこの木の話をしたのですよ。
そしたらその後、急に葉が枯れてしまいました。
神社とかで手を合わせた時、友達に
「何をお願いしたの?」
って聞くと、
「言っちゃうと叶わなくなるから」
って言う人いますよね。
ちょっとその感覚がわかった気がします。
水を切らした覚えもなく、こうなったのは何故?と思い、調べてみると、何やら立ち上がり付近で皮がはがれている所がありました。
犯人はわかりませんが、幹のこの部分がやられて上が全部枯れたのでしょう。
でも、おや?その傷の下の方から・・・
新しく芽が吹いてきました。
今、うちの棚で、いえいえ、もしかしたら世界で一番?大切な芽です。
もしかして、この芽がちゃんと育ったら、上が枯れたことで勝手に幹の低い所に一曲できるかもしれません。
...ま、花が咲くのに何十年かかるかわかりませんけど笑。
以前A藤さんに言われましたよ。
「実生リンゴの小品で開花させるところまでいけたら名人だよ」
って。
うちには実生10年のリンゴもありますけど、んまあこの十年、ひたすら葉モノです笑。
やたら枝うちの荒い葉モノですよ。
でもですね、作りやすい木のことばかり考えていると盆栽にロマンがなくなっちゃいますから笑、この荒皮性のリンゴは大切に育てたいんですよね。
男にとって大切なのはロマンですから(←ダメ人間の言葉?)。
ふふふ笑。
とにかく、この希望の芽がしおれてしまわないようにしたいです。
今は日陰でお休み中。
もう少し芽に力がついてから徐々に日の当たる場所へ出していこうかなと思っています。
こんな樹育てたって・・・とは思いつつ、ひっそりと大切に育てている樹って、ありませんか?
あるよと言う方、もう私と友達です。
さあ、握手しよう。
笑。
挿し床から愛を込めて
この数日の涼しさに勢いをつけて、最近鉢作りに精を出していたのですが、昨夜、鉢を作りながら夜の12時を過ぎた頃にカレンダーを見て、ふと気が付きました。
あ、そういえば今日は自分の誕生日だった・・・
とりあえず、そのまませっかくの誕生日が過ぎて行くのもワビサビが効き過ぎちゃいますので、今日はまわりのみんなにお願いして、おめでとうを言ってもらって回りました。
そろそろ自分のことを「ワシ」と呼んでも違和感のない年になってきました。
さてさて、最近ワシは今年の春からチョコチョコ挿してきたものがある挿し床の中のニレケヤキが気になっていました。
普通のニレケヤキでなくて、八房の小葉のやつですね。
ニレケヤキはすぐに根が太くなるので、片根のまま太く伸びてしまってないかとちょっと気にかけていたのです。
来年まで待っても良かったのですが、先日時間があったので、ものは試しと、掘り出してみました。
大きな容器にまとめて挿していたせいもあるのでしょうが、やはり太い根がこれでもかと走っていたので、それを切り詰めて、小さな鉢に移しておきました。
太いところはもっと切り詰めても良かったかな?
でもまだ残暑が残ってますし。
親木からはまだ挿し穂が取れるので、来年また挿します。
講師もこの種のニレケヤキで小さいのを作っていますが、こんなに葉の小さいニレケヤキ、どこの誰が作ったのでしょうね。
ワシが買ったお店の人は、仙台の業者さんから仕入れたとか言ってましたが。
それで、もうついでなので、同じ容器に挿していたものをいったん全部掘り起こしてみちゃいました。
小さな杉の直幹。根も悪くないです。
カエデ。
これもバカみたいに真っ直ぐですね。でも発根の具合は良いです。
あえて真っ直ぐでいくか。
早いうちに針金をかけるか。
植え付ける角度を工夫してハサミで切り詰めながら地味~に幹を作っていくか・・・
そんなことで迷ってみるのも楽いですね。
ウグイスカグラは根が2段になってしまっていました。
上の方の根を使いたいところですが上の根は数が頼りないため、もう少し様子を見てみることにしました。
ウグイスカグラは好きなので沢山増やしていますが、元の親木がまだ花芽を持たない素材でしたので、うちで花を咲かせたことはありません。
本当は、挿すにしても花芽のついた木の枝を挿さないとダメなんですって。
いつか、あのきれいな赤い実を・・・!
これは男のロマンです。
織姫もみじ。
やはり何も味のないところを挿しましたね。
おそらく剪定したのをそのままプスリとやったのでしょう。
でも、一番下の枝が充実してからそこで切れば一曲できますね。先の長い話ではありますが、ワシはこの織姫という品種、まあまあ気に入ってますので、気長に楽しもうかと思います。
この挿し床で一番の個性派の姿な気がする石化ヒノキ。
このままいくと三幹になります。
三幹に名木なしというそうですが、どうしましょうね。
途中で双幹に直すか・・・いやいや、やはり三幹の名木が欲しいですね。
うん、三幹の名木を作りましょう笑。
それで、根がある程度しっかりしているものは小さな鉢へ移し、発根がイマイチのものはもう一度挿し床に戻しましたとさ。
来年こいつらがどんな成長を見せてくれるかを考えると、うっとりしてきます。
あぁ・・・うっとり。
A藤さんの真柏
先日の納涼展、A藤さんの展示が素敵でした。
地板もさわやか。水盤も涼しげ。
夏を感じさせます。
水盤は自作でしょうか。A藤さんは町直さんの教え子さん。
またの名を、中野の東福・・・おっと、やめておきましょう笑。
瑠璃の水盤の上を象牙のカエルが泳いでいます。
か~わい~。
そして主木はお得意の真柏。
これ、好きです~。
なんか、ほら、昔のチュウチュウトレインの踊りみたいに幹が楽しそうに踊っています笑。
三本の幹枝が良い感じで奥行きを出していますね。
針金をしっかり使って、ジンシャリのある厳しい樹も作りますが、こういう樹も作るところが面白いです。
先日も、細い直幹の小さな真柏を見せていただきましたよ。
盆栽には厳しいですが、いつもとてもにこやかで、そんなA藤さんの人柄が樹の作りによく出ている気がします。
支部展ではどんな樹を飾っていただけるのか、今から楽しみです。
東京支部宣言 2011
今日練馬では38度に達したそうです。隣り合わせの杉並でもかなりいったことでしょう。
仕事柄、道端で土下座することの多い私ですので、この暑さはこたえます。
焼けるように熱くなったコンクリートやアスファルトの上に膝をつけて頭を下げると、その熱が私の額を焼くのです。
流した涙が汗と混じって地面に落ちると、熱をもった地面ですぐに蒸発します。
落ちては蒸発、落ちては蒸発する涙をただ見つめながら額を地面に押しつけて謝る時、石付きで植えられた樹を思います。
やつらも大変だなぁ、と。
さて、先日の納涼展&支部展リハでは、今年ずっと通して講師から教わってきた飾りの基本を、復習を兼ねてお話いただきました。
それをまとめてみようと思ったのですが、なんだかまとめきれない自分がいます。
なので、録音しておいた講師の話を一部、(聞き取りにくい所は省いたり補ったりしましたが)そのまま載せておくことにしました。
『 まず、飾りに関してテーマを設ける。俳句でもなんでもテーマを作る。それから9月というのは季節的には秋になっちゃうんですけど、見てる人は夏ですから、どうしても夏の飾りを要求するんですよね。そういうこともありますから。
それとあと、点数。点数は何点飾るかということを、小ちゃければ少し多めに飾っても良いし、わびしくいくんであれば小ちゃくても三点でいってもいいかなと。で、その時に基本的には偶数は避けることにしてるんですけども、だけど、それだけじゃなくて、いや、俺の考えはこうだよってことがあっても良いと思うんだけどね。奇数っていうのはあくまでも神様、要するに神、仏さんの方から来ていることだから。今はそういうことあんまり考える人いないから。4つは死神だから嫌だって人もいるかも知れないけども、この会では4点でも6点で飾っても文句は言わないんだということにしたいと思うんです。だけど基本的には奇数ということで。これは、日本の文化、要するに中国から来た日本の文化だから。これは、ま、敢えて、曲げない方が良いような気がするけど。いろんな解釈の仕方があるから、あまり難しく考えないで、今回の飾りに関しては、気にしない。ただし、よそ様が見に来るから、その時に、「東京ではこうやって教えてるの?」って言われてしまうんでね、基本的には、これ、あの、神様。
で、あと高低差。高い所、山のテッペンにあるものと、中腹にあるものと、谷にあるもの、こういう分け方をするために高低差が必要ですから。平でいくとすごく難しいんですよね。流れと大きさだけでいくと逆にすごく難しくなる。
それから、大きさのバランス。ある程度統一する。でかいのを飾るのか、小さいのを飾るのか。こんな大きなものにこんな小さな添えがあっちゃ、ちょっとおかしい。
それから主従ですよね。シンがないといけない。そのシンがやっぱり大きくて、松柏。これ、基本なんですけど、松柏じゃなくって、逆にする場合もかまいませんので。国風なんかも、この前皆さんに写真見せましたけど、こんなでっかい雑木に対してこんなちっちゃな真柏の添えがあってって、これは間違いなくそれで良いですから、その辺もあまり気にしないで。
それで、あの、特に今回若い人がいっぱいいるから、若い人の主張でね、「いや、俺はこうしたいんだ」って、それには、年寄りは文句言わない方がいいんですよ。文句言っちゃいけない。文句言っちゃいけません。前は、前はね、そういう人がいて、こんなのは駄目だって人がいたんですよ。それだともう皆さんついて来ないから。私あの、要するに、今、苔玉の時代ですからね。苔玉を主で飾れるって、そういう教室もある。そういうものも一般になってきていますから。遠慮なく。それで文句言われたら、「いや、ここは新しい会ですから。じいちゃんばあちゃんを卒業しました」って笑。
あとは展示会には飾がすごく大切で、飾は、まず基本的に高低差を付けるということがありましたけども、色はできるだけ統一したいということですね。材質はちょっと変わってもいいから、できるだけ、黒なら黒、赤なら赤、白木なら白木に統一したほうが良いかと。で、昔はけっこうスノコなんかもありましたけど、スノコも大丈夫ですから。スノコも黒竹使ったのは、真っ黒の紫檀黒檀とも合いますし、それから杉なんか白木を使う時にスノコを選ぶ時は黒いのじゃなくて白いのを使うとか、そういう程度の色の分け方が必要ですけども、できるだけ色はあまりかけ離れてないほうが。俺は違うよってことであれば、それはそれで主張してもらいたいと。
で、箱で飾るのか、あるいは平飾りにするのか、あるいは高飾も使わないで地板だけということも私はかまわないと思う。その時は今度は非常にバランスが良くないと、それと、流れと、少なくとも日本文化をあれしたんだったら、こういう風にシンメトリー、左右対称にしないでね、ちょっと、少しは日本らしくいこうと。これは最小限、盆栽の日本文化を主張するのであれば、そのほうが良いと思う。
それから、最初、テーマを考えていきましょうと言ったんだけど、それで、どうしても数が足らない場合、石とか添配とか、そういうものも使って主張していただく。で、その石と添配。添配というのはいろいろなものがありますから。だいたいがあの、宝物とか正月のものが多いのですけども、今のものがあったら今のものでかまいませんので、それはちょっとね、粋に飾りたいんですね。例えばちょっとこうね、隠し気味に飾ってみたり、ようするにこう、粋に飾ると面白い遊びになっていく。
それからあと、主木がひとつ決まったらあと、「流れ」ですよね。右に流れているのか、左に流れているのか。全部(一方に)流れっ放しでもでもかまいません。で、流れっ放しでちょっと飛んでっちゃうなって思ったら止める。拝み合いにしてるとちょっと格好悪いですよね。片側に流していって、それで私はこういう樹しかないよっていうならそれで良いと思う。で、最後に草かなんかでポンと止めちゃって。そこまでにちょっと間を作ってね。流れと間っていうのはすごく大切だから。よく教室で話するんですけど、もう亡くなったんですけど、アンベさんて人がいらしてね、あの人はすごく面白い人で、真ん中に飾るんですよ。それがこっち向くでしょ、それからこっち向かって、みんなこう(外側に)向いてる。これはわざとこうしてるというわけね。要するに、宇宙へ向かってこうやって広がっていくんだと。だから、これをあの歳でね、よくそういう発想をしたなと、私は感心するぐらいの。だけど、その真似はできませんでしたね。まだそれにはちょっと時期が早いと。「お前、馬鹿なことやってるんじゃないよ」と言われてしまうから。だけど、そのくらいのあれはあった方がいいと思うんですね。特に、若い人、これから期待をしておりますので。いろんなこと考えてください。 』
この作業のために録音されたものを聞いていて、私は胸がいっぱいになりました。
この会は昔からある盆栽会で、支部展とはいえあちらこちらから愛好家さん、業者さんも訪れますが、とにかく新人に、まだ若い樹でも安い鉢ででも、入って1年2年でも飾ってもらい、その楽しみを味わってもらいたいという気持ちが伝わってきました。
昔は相当厳しい方もいらっしゃって、こんなの十年早い、などと言われることもよくあったそうです。
でも、盆栽に若いものは「こんなの盆栽じゃない」と言われてしまう、それは仕方ないことだが、支部展は今年1年やったことの成果の発表会で良いのではないか、とのことです。
そのほうが若い人もついて来れる、と。
『 昔の殻を破らないと発展がないと思うんですわ。お前たち何をやってたんだ、ということになるじゃないですか。(盆栽展示の源となる価値観を作った)室町時代の人たちは何もなかったところからやってきたのですから。それを、あの先生がやったからこれが本道だってことになってきてるわけね。だけど、室町の封建時代からずっと同じっておかしいでしょ。だから、殻を破らないと。もう、絵や彫刻で既にやってますよね。だから盆栽もそれなりに勇気をもってやった方がいい。それのが若い人もついて来る。だけど、基本を覚えておいてやるのと、そうでないのは違いますから』
『 ひとつの展示で見透かされるんですよね。あなたの精神状態、教育状態を。それを批判されるのが怖いから飾れない。それがあるんです。でもそれをね、避けなきゃいけないと思ってるんです。私はこれくらいの教育しか受けてませんでもいいし、知っててこうやりましたでもいいんですよ。そのために飾れないっていう人いっぱいいるでしょ。それやってったら1年や2年じゃ飾れないよね。だから、1年2年で飾りましょう!』
さてさて、そんな中で、自分がよくても会や講師の名に泥を塗ってしまわないかと、
ある先輩の、
「プレッシャーかかるなぁ、T屋さんに対して...笑」
なんてつぶやきに対しても講師、
『プレッシャーは、だから、もうやめちゃって、新しい発想で!「私はまだ1年しか経ってないから、これでいいです」俺、これはすごく立派だと思うんだよね。その勇気がね』
とのこと。
講師は本気です笑。
なんだかダラダラと写真もなく文字を並べてしまいました。
ぼんやり後ろめたさみたいなものも感じています。
が、古い盆栽会だって変わろうとしている、ということを知ってもらうのにも良いし、また、私と同じ経験の浅い方々にとっても、何かしらの意味があるかも知れないと思いましたので、勢いで公開してしまいましょう。
なになに、私みたいに勝手なことする人間がひとりくらいいても良いじゃないですか。
東京支部。
これからがますます楽しみになりました。
むっちょがんばりますよ。
納涼展&支部展リハーサル
今日の例会、新人にとっては支部展のリハーサルとなっていたわけですが。。。
支部展出展を決めてきました~!
かなり興奮気味の夜ですけど、今晩眠れるかな笑?
今回はめずらしく、盆栽大野の朝美さんまで来てくれました。
自分の樹と、清香会のO兄さんからいただいた飾とで、あと2枚ほど地板をどこかで手に入れてくれば役者は揃います。
T講師の飾りの感覚...私のヘッポコ達を、私が持つ少ない飾で次々に組み立てていき、本当にすごいなぁ、と。
危うく男泣きです笑。
主役はお月見の石に例の杜松宝で決まり。自作鉢もひとつ使います。
配置が決まったところへ大野さんが、
「いいねぇ~!これいいねぇ~!」
と声をあげながら登場・・・笑。
T講師が組んでくれた石と主木の位置をとても気に入ってくれたようです。
「良い!ピッタリ。で、これもピッタリ合うじゃない。この山にこの樹(杜松宝)が。すごく合う」
一応私も大人の仲間入りしていますので、子供のように飛び跳ねては喜べませんが、心の中でよだれを垂らしながら飛び跳ねていましたよ笑。自分で並べたわけじゃないんですけど、非常に嬉しい。
新人の気持ちは複雑なのです。
実は今回の主木の杜松宝、2年ほど前、大野さんのところで500円で買ったのです笑。
大野さんにそれを伝えると、大先輩の可愛いおばあちゃん、T井さんに、
「それは言うんじゃない!」
と笑いながら声をしゃがれさせて怒鳴られました笑。
「会場では言いません」
と言っておきましたが、ネットで公表してしまいました。
でも、真面目な話、安くとも、私なりに真剣に取り組んだ樹で、玄人さんにとってみれば管理の下手さがすぐわかるものですが、間違いなくうちの「棚頭」なんです。
もう一度言ってやりましょう。全世界に。
「私の主木は500円です」
大野さんに格好良くなったと褒めていただき、少しだけ失禁しました。
今日はこんな報告で話を終わらせていただきますが、次回にでも、今日聞いたT屋講師の展示、あるいは東京支部展に対する考え方を載せたく思っています。
「いつか盆栽 風日記」イギリス支局誕生。
先日このブログのアクセス解析を見ていたら、見慣れぬアドレスから複数のアクセスがあり、ちょっとそこをのぞかさせていただきました。
そうしたらそこは、アルファベットだらけのブログ。
で、私が以前記事にした第40回名品展での特別展示、過去の案内ハガキの写真が・・・
調べさせていただくと、そのブログを書いてらっしゃるのはイギリスのピーターさん。
小林國雄さんから盆栽を教わった盆栽と水石のプロなんですって。
私の最終学歴は高卒ですので、まともな英語力はありませんが、ノリで訳してみれば、こんな感じでしょうか。
「いやあ、びっくりしたよ。夜空を見上げたら、オレンジ色の怪しい光が空をただよっていたんだよ。しばらくフワフワ浮いてたかと思ったらさ、急加速して消えちまったのさぁ!」
・・・失礼。ページを間違えました。
「電子書籍の調べ物をしていたら、40年前から続く小品盆栽の展示会のポスターやなんかについてのこんなページを見つけちゃった☆
てへっ(●^o^●)
日本人がコリ固まった脳ミソのイカレポンチだなんて、とんでもない・・・
角っこの赤い文字は「春の弾ける音がする」だってさヽ(^。^)ノ
おまけにマイクを持つ手は若くて可愛いモデルさんの手にしか見えないぜ・・・ゴクリ」
間違いは、kavalonさんにでも訂正をお願いしましょう笑。
さてさて、私のブログもワールドワイドになりましたね。
ピーターさんには「いつか盆栽 風日記イギリス支局」の局長をお願いしましょう。
この際だから、ピーターさんだなんて他人行儀はよして、ぴいちゃんと呼ばせていただきますか。
ね、ぴいちゃん局長?
ぴいちゃん局長は私のことを「まこっちゃん」て呼んでいいよ!
と、いつものようにふざけたことを書いていますが、ぴいちゃんは日本語と英語の翻訳などもやられるくらいに日本語が達者のようです。
この記事がぴいちゃんにバレたら怒られる・・・?
『Hi、ぴいちゃん!
名品展のハガキを記事にしてくれてありがとネ!
私は小林さんのBONSAI美術館のある江戸川区生まれなんだよ~
江戸川区といえば小松菜。
小松菜はうまいよね。
ぴいちゃんは小松菜、好き?
でもさ、ぴいちゃんのブログ、英語だから難しくて何が書いてあるのかわからないや~笑』
何故か、更になれなれしく話しかけてみる。
血迷ったか、まことよ。
そうそう、bonsaiだけじゃなく、syohinも英語になってるのですね。
ところで、「syohin on acid」ってどういう意味?
そんなこんなで、インターネットってすごいなぁと、改めて思ってしまった今日この頃でした。
考えてみれば、ブログを通じて、沢山の方とお知り合いにもなれましたしね。
そのうちにこのブログを通じてperfumeに入れないかなぁ?
「かしゆかです」
「あ~ちゃんです」
「のっちです」
「まこっちゃんです」
「4人合わせて、perfumeです!」
箱根うるしヅタ
国風展の時に大野さんで買った箱根うるしヅタ。
葉がない、冬の姿。
樹高3センチ。始めての樹種です。
講師から、この樹は結構姿が変わる、と聞いていましたが、さてどうなったでしょう。
一番主張の強かった枝が枯れて、なんとも個性的な姿となっています。
姿が面白いので、ちょっとお気に入り。
葉っぱがついて、樹高5センチになりました。
鉢は木黄さんのに変えました。
鉢の緑と葉の緑の強弱が良い感じです。
脇にガチャピンを添えたいところですね。
それ以外は、剪定も何もせずに、生きたいように生きさせて来ました。
枯れた枝なんですが、
葉の隙間から何かを求めて手を伸ばすが、願い叶わず、みたいに白い枝が伸び出ている様子が何とも素敵で、
これを切ったら間違いなくつまらない姿になってしまうと思い、
あえて残して楽しんでいます。
ツタらしい姿って、どんなでしょうか。
地を這ったり、からまったり、ぶら下がったり。
そんなイメージですが。
ところで、敏感な人はうるしヅタに触れなくとも、近寄るだけでかぶれるんですって。
私は今のところ全然大丈夫ですが。
そんな木を飾っていいのでしょうか・・・笑?
昔、某支部のナニガシさんは、かぶれながらもこの箱根うるしヅタを育てたらしいです。
まわりがやめろと言ってもやめなかったそうです。
その執念とも言える強い意思は、一体どこから生まれてくるのでしょうか。
私がいつも考えるのは、その強い力を発電や、世界平和のために有効利用することはできないのだろうか、ということです。
盆栽と愛好家で発電が可能となれば、きっと盆栽界に明るい光が見えてくることでしょう。
帆掛け舟
今日知り合いと、年をとっていても元気な人は元気だよねぇ~、という話をしていて、今年訪ねた某支部の展示会での風景を思い出しました。
その支部の長老さん、もう90を越えているそうで。
それでもちゃんと展示していましたよ。
その方の展示を見ていた女性に、
「年をとっているから、確かに細かい作業は行き届かないこともある。でもね、この古さ。これがすごいんだよ」
というようなことを、後輩のおじさまがおっしゃってました。
なるほどなぁ、いいこと言うなぁ。
そう思ったものです。
その後、その長老がお供をたくさん連れて会場にいらして、ぐるっと展示や即売をご覧になっていきました。
年も年ですから、ゆっくり、ふわっと(フラフラと笑?)歩きますが、それでも軽く90を越えていることを考えたら十分元気です。
長老が通っている歯医者さんの助手の女性も数人駆けつけ、なかなかモテているご様子で。
でも、ご本人が帰ったあとで、もっとすごいことを聞いちゃいました。
なんでもその長老、しょっちゅうそこからけっこう距離があるところまで自転車をこぐというのです。
ざっと30分はかかる距離だと思うけどなぁ・・・
それを教えてくれたのは、長老の展示を解説していた先のおじさま。
そのおじさま曰く、
「長老が自転車に乗って進む姿は「帆掛け舟」って呼ばれてるんだよ。風に吹かれて、ふ~らふら、ふ~らふら、ね。それで遠くまで行けるんだな」
さすがに盆栽歴が長いと、人を小馬鹿にする言葉にすら趣があります。
青つづらふじにまつわる私の哲学的思索
先月、ビニールポットに入ったままの青つづらふじに花が咲き、でもでも、この樹はまだ根すら出来ていないわけで、実成りはお預けねっという私の強い意思を高らかに宣言したわけですが、
ちょっと待て、私はまだこの樹の実のジツブツを手にとって見たことがない。
この経験を少ししておけば、次からの受粉作業にも経験値があることになり、また、早いうちからこの樹のために用意する鉢のイメージもつきやすい、うん。
そうです、しっかり準備済みのオス木の花粉でちょっと受粉させてみました。
なあになに、作っている最中の樹に実を付けないなどと、どれだけ論理的に行動しようが、人間がやることには必ず不条理が存在するのです。
ま、ほら、人間ってのは不条理を生きているわけだからネ。
作りかけの樹にちょこっと実を成らすことくらい、可愛いものです。
???
完全に破綻すらしている屁理屈です。
ところで、昨日書いた日本小品盆栽協会の会報91年、第38号のT屋さんの記事の一部を、勝手に載せてみましょう。
「田舎育ちの私は山野でごく普通に見ました。白粉をかぶった青黒い果実はとても美しいものです。葉が落ちた後の風情は、画家ならキャンバスに、歌人ならば歌わずにはおれない風情です。ある料亭で床の間の竹の一輪挿しに、枯れたつづら折れの枝にしぼんだ果実を見たとき、これだと思いました。盆栽には出来なくとも小品盆栽なら飾れると。
あれから十数年たちましたが先ずタネ樹がありません。タネ木探しに数年、見つけたときはそれは嬉しかったものです。雌雄異株で花は咲けども実は止まらず、別々の所から集めた四株を並べて置いてもだめ、たまに二粒くらいはなるのですが飾るところまでいきません。
そこで実生しかないと今度は沢山種を蒔きました。これが大成功で実生の80パーセント以上が雄樹です。実生2年目から蔓先に花が咲くものがあるのです・・・・・」
今では普通に手に入れることができる樹も、新樹種だった昔は、樹ひとつ作るにしても相当大変だったことが想像できます。
そして、その喜びも・・・。
↑T屋さんの去年の展示より、青つづらふじ。
盆栽にしても鉢作りにしても、今では簡単に情報を手に入れられますが、豊かさの意味を見失った現代社会と同じく、この盆栽におけるある種の豊かさに浸かってしまった我々の、言ってみれば「現代盆栽の飽和的不幸」を前に、私の思索は空回りし、やはり、一度料亭に行くしか道はないように思えてならぬのでした。
盆栽の本来あるべき姿を求めて、いざ、料亭へ。
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はい、ちょっと遊んでみました笑。
それは別にいいとして(←やはり軽い)、もう実を付けてしまったのですから、これからの変化を間近で観察していきたいですね。
本やネットの情報だけではやはり、もの足りません。
それはそうと・・・
赤松の剪定枝を挿してひと月ほど経ったでしょうか。
私の発想は、無邪気な幼稚園児並・・・・笑?
左が株立ちになりうる車枝、右が双幹になりうる二又の枝。
以前気ままさんが赤松を挿して発根させたと聞いた時には、本当、尊敬しました。
発根させたことよりも、その心意気にです。
名品展に備えて・・・
何だかわかりますか?
2009年の名品展で印象深かったこれ、冬苺。
真冬につるつるとした透明感のある赤い実が心に染みました。
そう言えば、この冬苺、青つづらふじ、エゴ、等々、日本小品盆栽協会は小品盆栽の展示に新しい樹種を積極的に取り入れていったのだそうです。
去年の支部展の特別展示では、講師のT屋さん、確か「粋な飾り」というタイトルで、アマゾンフロッグピットとかいう南米の水草を水に浮かべて飾ってましたね笑。
今では普通に売っている青つづらふじ(カミエビ)ですが、先日、20年前の会報、「小品盆栽」91年、第38号を読んでいると、講師のT屋さんがこの樹について記事を書いているのを発見し、読んでみると、当時は盆栽としてまったく流通していなかったようです。
そんな中、偶然ある料亭で、床の間の竹の一輪挿しに、枯れたつづら折れの枝にしぼんだ青つづらふじの果実を見て、「盆栽には出来なくとも小品盆栽なら飾れる」と思ったそうです。
さあ、私も料亭に行かなくちゃ!
・・・行ったことないですし、この先も行くことはないだろうなぁ。
さて、話を冬苺に戻しましょう。
印象深かったその冬苺、いつか手にしてみたいものだと思っていました。
田舎育ちの母に相談してみたりもしましたが、結局お店でも見る機会がなくきました。
そして先日の日本小品盆栽協会本部の交換会で、モウロウとした私の耳にセリ人の「冬苺」という言葉が飛び込んで来たのです。
私は何も考えずに、たいして好きでもない長寿梅とセットでセリ台にあがった冬苺を他の何者かと競り合い、それなりの金額まで上がりながらも手に入れたのです。
それでも満足気な私でしたが、すぐ横の盆栽大野さんと話してみると、この冬苺は秋に花を咲かせ冬に実をつける「冬苺」とは別の種類の、春に花を咲かせるものだ、とのこと・・・
大野さんのところでも最近は冬苺を見掛けないのだとか。
私は相当へこんで、全世界に呪いの言葉を吐いてやろうかと思いましたよ。
今日改めて調べてみると、どうも「小葉の冬苺」という樹とそっくりです。
もしもそれなら、ちょうど支部展の頃の実成りとなるようです。
ま、それならいいかな?と、少し機嫌も直り、とりあえずはうちでしばらく可愛がってあげる気にもなりましたとさ。
でも、いつかは本物の冬苺を育ててみたいです。
どなたか、そんな可哀そうな私に冬苺をプレゼントしてください。
お礼にどんぐりを差し上げます。
「えぇ~!これが本物の冬苺かぁ~!ありがとう。じゃ、はい、これ、どんぐりね」
お知らせ
日本小品盆栽協会東京支部の今年の支部展の案内ハガキを入手しましたよ。
素敵な案内ハガキでしょ?
それもそのはず。この案内ハガキを作ってくれたのはbonさんなのですからネ!
諸々の事情があり、
「案内ハガキを作れる人がいない!」と、先輩方が困り果てていた時、天使の救いの手が伸びたのでした。
写真は、現在ご病気でお休み中の支部長の、去年の特別展示より。
この辺の薄っすら見えるチョウチョとか、
花のデザイン・・・洒落てますね~。
この、左側の、ふすまの隙間からトウカエデをのぞき見るかのような、「鶴の恩返し」的なデザイン!
おもしろ~い笑。
bonさんならではのこの表現・・・もはや芸術の域です。
出来上がって、なんだか自分が作ったかのような嬉しさが込み上げてきます。
私、な~んにも手伝ってないのですけどネ笑。
さあさあ、bonさんへのファンレターは、bonさんのブログへ!!
第35回東京支部展 小品盆栽フェスティバル
日時 2011年9月16(金)~18日(日)
午前10時~午後5時(最終日は午後4時終了)
場所 上野グリーンクラブ(台東区上野公園3-42)2階展示場
交通 地下鉄千代田線根津駅より徒歩3分
JR上野駅より13分
入場料 無料
◎会期中は小品盆栽基礎講座を開講
どうぞ皆さん来てくださいませ。
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もうひとつ、一木一草話さんの8月のイベントの案内ハガキも手に入れました。
こちらも一緒に宣伝、宣伝。
そんなこんなで、皆様、ふたつともよろしくお願いいたします。
追いかけずとも、樹の方から寄ってくる
びっくりしました。
世の中には現代の科学をもってしても解明できない謎が多くあるものです。
先日、選挙の事とか新聞の事とか、いきなり訪ねて来て話し出す関係の方に、ちらりと、
「あっちに盆栽屋さんが出来ましたね」
といわれたのです。
うちの方は、かなり個性的な町ですので、変わったお店もけっこういろいろありますし、骨董、古道具、和服リサイクル、雛道具など、レトロなお店がいろいろある中に、たまにはいわゆるモダン系?和テイスト系?土の匂いがしない系?の盆栽屋さんなんかもあったりするのです。
今回もその類かなと、期待せずに探しもしませんでした。
それで、今日たまたまいつもと違う道を通って帰ったら、うちから歩いて1分もかからないところに、大きくはありませんが、普通の盆栽を扱う新しい盆栽園が出来ていました。
ガーン!
近過ぎて逆にキモチ悪い・・・
その時は人がいなかったので中は詳しく見れていませんが、今度ちょっとのぞいてみようかと思います。
交換会後の興奮気味の私
今日は上野で日本小品盆栽協会、本部の交換会へ行ってきました。
会場では芳幸さんともお会い出来、お土産の五葉松までいただいちゃいました。
芳幸さん、ありがとうございます。
うちに来たからには、未来の名品です。
今回もつくづく思いましたが、もっと目を肥やして、これというものに集中しないとツワモノ達にはかないませんね。
青閑の豆鉢・・・ちょっと持ってみたかったなぁ。
家に帰ってみると、改めて疲れでヘロヘロになっていることに気が付きました。
かと言って少し休むにしても、訳のわからない高揚感でじっとしていられません。
なので、うちのヘッポコ杜松宝の古葉取りをボーっとやっていました。
こんな時は地味な作業に限ります。
しかしです、今日はそれでも落ち着けず、大変困りました。
その原因は、展示会が迫って来た、ということでしょう。
果たして自分に何かできるのだろうか。
恍惚と不安がいたずらに入り混じる私の魂に振り回されっぱなしです。
その役目を終え枯れた古葉をとっている、この杜松宝。
樹姿も、教わった通りにはいかず、愛想のない姿。
小さなポット苗から、私がイチから育てたので、当然古さなんて無し。
それでもね、展示をするのならこの樹を飾りたいな、という情が、以前からぼんやりあるのです。
他に樹がないだけなのですけどね。
この2年程、そうそう、日本小品盆栽協会に入った頃から、講師に相談しながらずっと取り組んできた樹ですし、
支部展が、この1年の成果を発表出来る機会なのだとしたら、やはりこの樹がふさわしいのではないのかと思ってしまうのです。
この樹が、誰と張り合うわけでもない、等身大の私ですから。
一応、メインの役者となる3点として石と屋久島ススキと杜松宝を考え、あとは他にいろいろ脇役を例会に持って行き、皆さんの意見を聞いて考えようと思っています。
情景としては、夜明け前、眼前に群生する枯れススキの、その上に昇る月を、無表情な一本杉(一本杜松宝)の下から眺めるまこと、の図。
そこでまことは何を考える?
ま、背景の色が完全に真昼間の快晴ですけど笑。
月はもう少し昇らせた方が?
昇り過ぎ?
夜明けを待てずに、ススキにはトンボが遊びます。
羽根は夜露に濡れてないかしら。
羽根の感覚を確かめるように動かします。
・・・・・・
良い樹があるなしにかかわらず、これが私の今の実力でしょう。
アドバイスを受けて、実際に展示が可能かどうか判断しましょう。
樹を育てるのも楽しいことですが、この数カ月で、飾るという楽しさを、よりリアリティーをもって知ることができました。
今年の展示が出来ようが、出来なかろうが、得たものは大きいと実感していることには変わりがありません。