猫足丸鉢
今は赤土の成形を進めています。
赤土の丸鉢に帯状に溝をつけてそこに白土を化粧したものがいくつか必要なので、とりあえずひたすら丸鉢を作れば良いのですが、
私はどうも気持ちにむらっけがあり、作っている最中にポンッと何かが浮かぶと頭の中でその考えを勝手に吟味し始め、いつの間にか最初の考えとは違う方向に手が進んでしまっていることが多いのです。
そうなり始めると、頭の中で小さな自分が、
「方向が変わったよ~。そっちで本当にいいの~?」
と自分に問いかけているのに気付くのですが、もうこういう性格ですので止められないのです。
幸い、ひとりの作業ですから誰にも迷惑はかけません。
さて、シンプルな丸い鉢を作っていたら、作り終わった時には猫足の丸鉢になっていました。
どうしましょう。
焼き締めにするか、釉鉢にするか・・・
一応表面は磨いてあるので、焼き締めにしても良いのですが、勢い良く作ったわりには最終的にどうするかを決めきれていないのです。
こういう人間はやたらに共同作業など、やってはいけません。
散々引っ掻きまわすくせに、着地点のことはそれほど気にしていないのです。
そこを責められれば、
「最高の着地点というのは向こうから来るものだ!」
などと、乱暴で意味不明な言葉さえ言いかねない、この面倒臭さ。
不愉快だとは思いますが、どうか、彼の事を見捨てないであげてください。
彼にも少しくらい、良いところがあるはずですから。
(いつの間にか他人事?)
素焼き開始
8月に入って成形した鉢をいったん素焼きすることにしました。
新しい土のテストピースも一緒に。
これから七輪焼きも交えながら本焼きを試しつつ成形を続けていきます。
さてさて上手いこといってくれるでしょうか。
削り出すのも焼くのも、暑さとの戦いです。
サイカチはバカ息子
我が家で最後のカラマツが、さよならも言わずに星となりました。
水切れもしていないのに、突然葉がチリチリに。
さすがにこのヒューミッドな東京砂漠では長く生きていけないのでしょうか。
「もっと強くなれ!」
そう吐き捨てながら、ぐっと涙をこらえる夏の終わりなのであった。
ところで、今日は久々にサイカチ。
4年ほど前にサイカチという樹に興味を持ってタネをまいたのですが、この樹はとても丈夫なのです。
水切れして葉を落としても、幹は死なずに必ずまた葉を出してくるのです。
しかしだね・・・
このサイカチ、今のところどう頑張ってもいつか良くなる気がしないのです。
枝を切れば、その枝の途中からでなしにその枝の元から芽を吹いてしまうし、
針金を掛けてもすぐ戻ってしまうのです。
これから試してみようと思うのは、まず、鉢をさらに小さくして管理すること。
剪定しても駄目なら、枝を伸ばせないくらいに小さな鉢へ入れてしまうことしか思いつきません。
あと、どうにか面白くなりそうなところを見付けて挿し木を試すこと。
実生苗なのでどうしても最初の芽ツボまで距離があり、そこをどうにかしたいと針金で矯正しようとして、結局傷だけ付けて曲は付かないことが多く、そんなのにもう、うんざりしてしまいました。
なので、少しでも枝分かれのあるところを挿してみて、どうにかなるか考えてみようかと思います。
ただ、実生の苗がたくさんあるせいで今までこの樹の挿し木はやったことがありませんので、つくのかどうかはわかりませんけど。
あと、今年は枝を切らずに管理しています。
来年の春に切ればまた違った結果なのかも・・・と、淡い希望を胸に。
この樹に関しては、運良くついたハサミの曲を活かして作ってみたいです。
とにかく今年はこのまま伸ばさせて、来年の植え替えで鉢を、お願いもうやめて!ってくらいにキュウキュウに締めて、曲のところの枝に立て替えてみます。
でも待てよ?
そんなことやってたら、雑木のくせに1年に1曲しか作れないの・・・?
だんだん自分がやっていることが不安になってきました。
私がやっていることは何か間違っているのだろうか。
いいや、もしかして、もしかしてだ、私の人生自体が根本的に間違いなのかも知れない。
ストップ、ストップ。
サイカチだよ。
私はサイカチについて考えているのだよ。
サイカチと私の人生は別だからね。
もちろん、「サイカチこそ我が人生」などと言うのなら、大いに不安になれ、まことよ。
この樹はそもそも、盆栽趣味というよりも、当時の実生趣味の結果で、たまたま公園に落ちていた巨大な豆のサヤを発見した際に少し調べて、
「果実は樹上に多数ぶら下がり、木枯らしの風にからから鳴ってゆれる」
とあった解説が気に入って、実は無理でも寒樹をたのしむことって出来ないかなぁ、と考えてしまったのです。
そこが苦労の始まり。
この樹には、枝が変形したという立派なトゲが出るのです。
タネを拾った公園の樹にも、ひいてしまうほどのエゲツない大きなトゲが。
うちの樹にも、ボチボチ生意気なトゲが。
こんなトゲも、この先どうなるのか、ちょっとたのしみではあるのです。
場所もないのにこんなヘンテコな樹をいくつも育てていて、時々そんな自分に愛想を尽かしてしまいそうになります。
だったらまともなピラカンサの1本くらい持てばいいのに。
そしてそんな気持ちがサイカチにも伝わり、余計にひねくれていくのです。
「モウ沢山ダ。俺ヲ公園ヘ帰シテクレ!」
五葉松の胴吹き
去年もそうだった記憶がありますが、夏になってうちの棚に蜂が一匹、頻繁に来ます。
以前は巣を作るためでしょうか、日除けのすだれをカリカリと音をたてながら噛み削っていましたが、今では2~3分おきに来ては水を飲むだけで帰ります。
すだれを噛み削られていた際には私もムカっとして、人間様の恐ろしさを教えてやろうとばかりに、何度か畜圧式の大きな噴霧器で霧を吹き付けたりしましたが、羽根が濡れて飛べなくなり、盆栽の枝の上でモゾモゾと気持ち悪そうにしている姿にちょっと胸がキュンとして、またそれでもめげずにうちへ通って来るけなげさに不本意ながら情も湧いてしまい、また、水汲みに必死なその姿が他人事とも思えず、小さな盆栽をやらない人々にとっては私の姿も、数分おきに水場に通うこの蜂のように映るのではないかと、不安の混じった憐みの情も感じてしまわないわけでなく、
「いや、私のような盆栽名人とこんな虫けらに通ずるものなど」
などとそれを打ち消そうとはするものの、かなわず、それ以来、この世に怖いものなど何もないタフガイの私ですが、いきなり唸る羽音を響かせて現れる姿にほんの少しだけ飛び退いてビビりながらも見て見ぬ振りをし、好きにさせている次第です。
写真がブレているのは、近くでカメラをかまえるのにビビっている風を表現してみたからです。
あくまでも演出です。
当然です。
さてさて、しばらく前からあちらこちらで、五葉松が葉の無い所から芽を吹いています。
よしゆきさんからいただいた五葉松にも、ほらね。
抑えきれないエネルギーの闇雲な放出・・・若さの持つ特権なのである。
昨日20歳の誕生日を迎えたばかりの私にはよくわかるのです。
こちらは私が、確か初めて買った五葉松だったような。
大宮の盆栽祭りで、恐らく今考えれば業者さんではなかったのではないかと思いますが、そのおじさんから、実生して10年は経っているよ、というのを500円で売ってもらったのです。
別れ際に、
「いい?吾妻五葉っていうんだからね」
と念を押されたのを妙に覚えています。
うちに来て3年ほどが経ちましたが、私の不注意で付けてしまった針金の傷もだいぶ治り、どこか枝を切らないといけなそうなくらいに枝葉も茂り、おまけに幹の元の方の肌が割れてきました。
この五葉松にも、
枝元にポツリと芽吹きが。
この五葉松を手に取る度に、今後どうするかを決めて、枝葉を透かしていかないといけないなぁと考えるのですが、やはり松の枝を切るのは迷います。
でも、もう茂り過ぎて、埋もれて成長できていない枝もありますから、どうにかしてあげないと。
こんなちっこい五葉松も、カラカラになりつつも芽を吹き、元気なんだか息も絶え絶えなんだかわかりませんが、とりあえず生きてくれています。
五葉松って、じっくり持ち込んでナンボのイメージです。
とにかく枯らさずに、40年ほど様子を見てみます。
ブエノスアイレスの夏、日本の夏。
アストル・ピアソラ 「ブエノスアイレスの夏」
ピアソラは、この5人の時の音が好きです。
この5人の中で、結婚するのなら私、バイオリンのフェルナンド・スアレス・パスを選びます。
普段は寡黙なクセに、時々、ここぞという時にやさしい言葉をかけてくれそうですから。
ピアソラを選んだら苦労しそうです。
しかしながら、歌のない音楽のCDを聴いて感動の涙が出たのはピアソラだけです。
また、失礼ながら当時は、年寄りの演奏はつまらないと信じていたものですから、いろいろな意味で衝撃的な出会いでした。
鉢作りのお供
最近のお気に入りは、鉢作りをしながら小説の朗読を聴くこと。
もともと小説、日本のでしたらとりわけ昔の短編ものなどが好きでしたが、ここ数年はまったく読んでいませんでした。
そういえば以前、日本小品盆栽協会の他の支部の長老と電車で帰りを途中までご一緒した際に、私の最寄駅を尋ねられ、
「荻窪のほうです」
と答えると、
「それは良いところに。あのあたりはね、昭和の初めに文学者やら芸術家やらがたくさん住んでいてね・・・」
なんてことを話してくださいましたっけ。
私は20歳頃にこの土地へ越してきましたが、この場所を選んだ理由はそこでした。
このあたりの土地を舞台に昔のモノ書きの人達が残したエピソードを読んだりしていて、そこに内心憧れていたようです。
例えば当時バンドマンが住みたがるのは、まずは下北沢、そして別の部類では高円寺が多かったのですが、下北だとなんだかお洒落でハイセンスを気取っているようで私の羞恥心が許さず(←偏見)、高円寺だと1年中ライダースの皮ジャンを着ていなくてはならないし(←偏見)、私は住もうと考えたことがありませんでした。
結局ダメ人間としてバンド活動しながらも、気持ちのどこかではいつも昔の困ったちゃんのモノ書き達の生き方に親しみを持っていたように思いますし、なのでなんとなくこの場所を選んだのも、そのまま気に入って居ついてしまったのも、自然なことなのかも。
そんなつまらない話はいいとして、確か20代前半の頃一時期、よく芥川龍之介を読んでいた記憶がありますが、YouTubeに読んだ記憶のないもの、読んだけども忘れてしまっているものなど、彼の作品の朗読がいろいろあったので、ここしばらくは鉢作りのお供として、かなりたのしませてもらえました。
鉢作りには、音楽を流すよりも朗読のほうが合う気がします。
そうそう、頭がその表現や物語を追っていても、手の邪魔はしないものなのですね。
で、その芥川龍之介の「戯作三昧」。
よくもここまで表現できるものだと、なんだか感動してしまいました。
ま、書いた本人は不満顔なのかも知れませんけど笑。
第36回 東京支部展 小品盆栽フェスティバルのご案内
今年の案内ハガキも素敵ですね。
9月14日(金)~16日(日)、10時~16時半(最終日は16時まで)、上野グリーンクラブにて、日本小品盆栽協会東京支部の年に一度の展示会があるのです。
入場無料です。
展示会場は、1階の即売会場奥のエレベータから2階へ上がって下さい。
私も2階にて、今年一年の成果として飾りますよ。
昨日リハーサルを済ませてきました。
そして、私は1階のどこかで鉢の販売もします。
初めての試み、たいした数は出せませんが、よろしくお願いします。
目標は、せめて場所代くらいは稼ぐ、です笑。
また、会期中、2階の展示会場脇にて、毎日13時頃から小品盆栽基礎講座をやっています。
14日(金) 「小品作業基本の基本」 講師 支部長
15日(土) 「盆栽実成りコツ」 講師 S崎さん
16日(日) 「豆盆栽のつくりかた」 講師 T屋さん
ベテランさんだけでなく、私を含め新人一同も、自分達なりの思いを飾りに込めて、皆さまに見ていただくべく、精一杯やりました。
是非ご覧になってください。
明日は支部展のリハーサル
やっと週末になり、鉢作りを進めておきたいところでしたが、明日は東京支部の例会。
納涼展といって、例会の会場で夏の飾りをたのしみながら皆でワイワイやるのです。
そして、新人達は支部展のリハーサルを兼ねて、支部展で飾りたい樹を持って来て講師に相談、アドバイスを受ける日なのです。
今年は私、春以降、支部展での販売のため鉢の焼成等の勉強に追われ、なかなか展示の準備だけに力を入れることもできず、いいえ、それ以上にまだまだ実力不足なのでしょう、あともう一歩のところで飾りがまとまらない状況です。
目標としては、去年は月とススキで静かな秋を表現してみたので、今年は過ぎ行く夏を表現したいというのが前からあったのですが、実成りを期待して柘榴を、講師から譲っていただいたお気に入りの鉢に入れて実成りを待っていたのに、最近葉を落としてしまい、実成りは困難に。
とても口惜しいです。
と、そんなことを考えていても仕方がないので、今日改めて棚を漁って未来の名木達を集めてみました。
しばらく放ったままの樹も多かったので、ついでにあれこれ観察し、掃除などもしておきましたよ。
そうしたら、今頃青つづらふじに花が咲いていました。
しかもとても良い場所に。
思わず、
「オス~!オスはおらぬか~!!」
と叫んでしまいました。
でも、オス木をいくら見ても花は咲いていません。
「ええい、私とて、これでもオスのはしくれ。かくなる上は・・・!!」
そう思いもしましたが、いいえ、私がオスでも私にできることはありません。
そういえばこの樹は去年、特に交配させた記憶もなしに実をつけましたっけ。
運を天に任せました。
さて、これから展示候補の樹の手入れをしておきます。
ああ、あとひとつ、あとひとつだけ奇跡が起こってくれたらなぁ。
迷子のお母さんを探してあげたり、交差点でお年寄りの手を引いてあげたり、今年も私は良いことをたくさんしてきました。
どうか盆栽の神様、私に微笑んでください。
冬苺の開花
クコだけでなく、これから咲かんとするものが。
気ままさんからいただいた冬苺。
たくさんつぼみがつきました。
これがちゃんと実になってくれるかな?
春に植え替える際切り詰めた枝を挿しておいたらちゃんと根が出て、おまけに花まで咲かせています。
もっと小さな鉢で実成りまでいけるでしょうか。
今後挑戦していきたいと思います。
支部長性のサルスベリにも、たくさんツボミがつきました。
枝にハサミで模様をつけてから挿すつもりだったのに、そのまま伸ばしてしまったからですね。
このあと枝を切り詰めてしまいました。
去年か今年に?実生した野ブドウにも、小さなツボミらしきものが。
これは大きな入れ物に植えてあるので、小さな鉢に移したらどうなるか、花を咲かせてくれるのか、よくわかりません。
ここへ来て開花するものが出てきましたが、花モノ実モノはまだまだ上手くいきません。
でも、今年から改めて、小鉢で花実をつけることを意識して過ごしています。
きっとそのうちに、ここは果樹園か?と間違えるほどに実成りの多い棚になると思います。
クコ、開花
いつかは実成りをたのしんでみたいと思っていた、会長のところの展示会の即売で出会うことの出来たクコ。
もう、死ぬまで君を離さないぞ!
と、そんな感じでうちへ招いてもう1年ちょっと。
性が良いとのことでしたので、剪定枝は全て挿して、そのうちに皆さんに差し上げようとしているのです。
でも、親が小さい樹なのでなかなか挿し穂が採れないのですけど。
それでもですね、去年の秋に挿しておいた小さなものが少しだけプラポットにあるのです。
それが・・・
咲きましたよ~
ううん・・・でもでも、たしか話では、
「春に咲いた花は実になりにくいが、秋に咲いたものは実になりやすい」
今は夏ですね。。。
ま、50%の確率で実になるんじゃない?という感じでしょうか。
紫の控えめな花。
昨日筆で花粉をめしべに着けておいたら、今日は白い花になっていました。
クコっていいなぁ。
花実がなければ全然パッとしない地味さがたまりません。
豆盆栽のある景色展
明日8月2日から新宿のリビングデザインセンターOZONEというリッチなビルディングで「豆盆栽のある景色展」が始まります。
一木一草話さんに頼まれ、私も少しだけですが、自分の鉢を出品しました。
会期途中の夏休みを挟んで28日までやっていますので、男性はタキシード、女性は背中ばっくりのイブニングドレスを着用の上、是非足を運んでみてください。
詳しくはこちら→ 豆盆栽のある景色展
アブラムシ除けのためにテントウムシを鉢に彫る方もいますし、日当たりの悪い棚の方のために、太陽を彫ってみました。
こんな鉢にまだ青い大きなアケビの実などぶらさげたら、さぞかし気分が良いでしょうね。
結晶がよく出ました。
赤土シリーズ。
赤い釉薬を埋め込んでいます。
うっすらかかる透明釉は七輪の灰が溶けたもので、ほんのりと色味がかかって素朴な味が出ました。
こちらは赤土にピンクの釉薬を埋め込みました。
まだ経験不足で、このシリーズは作ったうち、無傷で仕上がったのはその半分以下。
赤土を成形して、溝に白土を化粧して、ある程度七輪で焼いて灰をしみこませ、釉薬を筆で塗って、電気窯で焼成・・・なんだか面倒臭い手間をかけていますが、この過程をどこか抜いてしまうとなんだか味気ない焼き上がりになってしまうようです。
渋好みの方には灰かぶりの焼き締めを。
そうそう、新宿駅そばから、無料の送迎バスが出ていますので、そちらを使わないと、日差しにやられますよ笑。