横浜真柏
盆栽をやらない人と盆栽について話す機会があると、それでも
「針金で樹の形を作るんでしょ?」
という話はよく出て来ます。
盆栽=針金。
しっかりこのイメージは浸透しているようです。
私はといえば、東京支部の教室で教わっていて一番感じたのが、芽摘みと剪定で樹の力を加減することの大切さだというのがあり、樹形を枝をどうにかしたいと考えた時、何も考えず針金を当てるのではなく、芽摘み・剪定で、強さや伸びる方向をガイドしたり、植え付け方を考えてみたり、指でしならせてみたり、つっかえ棒を当ててみたり、樹種の癖によっていろいろ考えて、針金はなるべく最後の手段にしています。
小さい盆栽で、なんだかんだで結局最後に役に立つのが芽摘み・剪定の勘だと思っています。
でも、使わないわけではないです。
挿し木の素材だって、初めから足元に良い曲が付いているものばかりではありませんし、針金で整姿するのがベストに思える箇所があったりもしますし。
そんな私の、いわゆる私らしくなさそうな樹になるのでしょうか。
2010年の11月に横浜の展示会に行った際、町なかに鉢と一緒に生えていた真柏を持ち帰りました。
その時の写真↓
杜松のトウシオと一緒にうちに来た樹ですね。
方やトウシオのほうは今年の1月に名品展デビューしたのに、こちらは人から見られることもなく、ブログにさえ登場もせず、ひたすら家で日光浴です。
人柄も樹もやさしいと評判の私ですが、ちょっと、この樹は荒くれた樹にしたいというイメージが最初からありまして、ほら、優しい人ほど怒ると怖いというでしょ、そんな一面をこの樹で魂をかけて表現するのが私の使命だと、ある日そんな声が空から確かに聞こえまして。
それで今の姿↓
随分と変わってしまいました。
そして、私にしてはかなり太く、大きめです。
「どうせ大きい樹は作れないんでしょ?」
と言われて、自分の小心ゆえ、返す言葉が見付からなかった時に自分を慰めてくれる、そんな樹になって欲しいです。
幹上部の強い曲の所で取り木して、懸崖ではなく、強い風で地を這うように生きるしかなかった16世紀フランスの真柏をイメージしました。
鉢のネットを取ると三本の幹になっているように見えるのですが、幹は1本で、残りは枝です。
裏側↓
てっぺんに1本立ち上がっている枝が芯になります。
次は芯をどうにかする感じなのですが、芯と枝が決まったら全体をキュッとまとめようと思っています。
それまでは、各枝に光が入っていくように緩めで。
やっぱり針金だらけになっている樹はちょっとヒキます。
自分の思い通りになれ!という気持ちがベタベタとくっついて見えて、閉口してしまいます。
でも、やっぱりこういう真柏には針金が必要ですね。
とにかくそれだけはわかりました。
今は大ざっぱでかまいませんが、形が決まってきたらもっと丁寧に針金を掛け直そうと思っています。
というわけで、まこっちの「実はこんな樹も作っています!!」のコーナーでした。