瓢鮎図(ひょうねんず)
如拙という人がいたそうで。
その名は『老子』の「大巧は拙なるが如し」にちなんでとのこと。
私のは「拙なるが如し」でなく、ただの「拙」ですが、いつか気が向いた時にでも作ってみようとずっと思っていまして。
粘土で瓢箪と鯰を、私の添配のサイズで彫ってみようと。
水墨画の祖とされ、評価がその歴史的価値に重きを置かれてきた瓢箪と鯰の絵「瓢鮎図」を、禅をテーマに読み解いてみよう。そんなものを以前読みまして、その切り口に、非常に面白味を感じましたので、では何か作っておこうと。
面白かったから何か作っておこうと?
私は普通にそこを進んでしまいますが、これは、理屈をいくつか飛び越えてしまっている気がします笑。
でも、気にしない。
『私は、瓢鮎図の企画するところは禅の本旨以外の何ものでもなく、すぐれて禅的なメッセージを詩画にしたものに他ならないと考える。そのテーマは何か。心である。心(鮎)を心(瓢箪)でとらえるということである。禅は心の心印を直伝する宗旨であるゆえに仏心宗といわれる。「禅とは心の名なり、心とは禅の体なり」ともいわれる。禅のテーマはつねに心である』
ツルツルした瓢箪でヌルヌルしたナマズをとらえる・・・それが人の心なら、そりゃくたびれますね。
粘土で瓢箪と鯰を彫るほうが、はるかに簡単。
なかなか作るのが楽しいテーマだったので、タイミングを見付けて、また彫ってみようと思っています。
ずっと、本当に自分が好きなことを楽しみ味わうことができずにいましたが、今年から、またそういったことをなるべく大切にしていこうとしています。ツルツルぬるぬるしたものは、ツルツルぬるぬるさせておきましょう。