帰郷名義の七輪狙い
今日の東京は、また強い風が吹きました。
最近、よく風が吹きます。
「風」ということと、また、先日実家へ帰ったことから「実家」という印象が混じって、なんだかどうも頭の中に、「中原中也」が浮かんできてしまっています。
中原中也は昭和初期の詩人。
30歳で死んだそうです。
私の中学時代の女性の国語の先生が、
「中原中也って、夭折の詩人だし、またよく本の表紙で使われている写真がチャーミングな顔をしていて、若い人に人気があるのよね~」
なんてことを授業中に言っていたのを思い出します。
その時にはおこずかいで買ったこの文庫本を持っていましたから、一体何年前から持っていることになるのでしょう?
これが松だったら飾れるのに笑。
「風」が中原中也に結びつくのは、あの、結構その筋では人気の詩から。
「宿酔」
朝、鈍い日が照ってて
風がある。
千の天使が
バスケットボールする。
私は目をつむる、
かなしい酔ひだ。
もう不要になつたストーヴが
白つぽく錆びてゐる。
朝、鈍い日が照つてて
風がある。
千の天使が
バスケットボールする。
それで、「実家」はというと、私、十代後半から二十代では、実家に対してとても複雑な思いがありまして、早く家を出たい、早く家を出たいと思ってまして、出たらもう滅多なことでは戻らなくなったのです。
そして数年間、思春期を引きずりながら、ベソをかきつついろいろな経験をして、随分と久しぶりに実家へ帰った時、玄関にあった母の靴がものすごく小さく感じたのですね。
なんだかものすごい罪悪感みたいなものを感じてしまいました。
そんな帰省の際に頭に浮かんできたのが、中原中也の「帰郷」という詩の一節、
これが私の郷里(ふるさと)だ
さやかに風も吹いてゐる
心置なく泣かれよと
年増婦(としま)の低い声もする
あゝ おまへはなにをして来たのだと・・・・・・
吹き来る風が私に云ふ
でした。
とりたてて好きな詩人さんではなかったのですが、いいえ、むしろ少し鼻につく感すらあったのですが、友達との間ではなんだかんだと話題に上ることのある人で、例えば、結核性脳膜炎で死んだ中原中也は晩年、ちょっとおかしな行動をとっていたという当時の友人の話があり、そんなエピソードの中に、「中也がのり巻きを3皿平らげた!」という事件?があるのです。
その3皿がどれほどの量なんだかわかりませんが笑、友人が中原中也と一緒に食事をしていた際、彼がのり巻き3皿をぺロリとたいらげる姿を見て、そのことから当時中也は既に脳まで病魔に侵されていた、などと思ったことがとある本に書かれてあったのです。
まあまあ、二十歳そこそこの、弱虫でひねくれ者の私や私の友達の間では、この記述がおかしくて仕方なく、精神的に疲れていたり、落ち込んでいたりでヘロヘロになっていることを表現するのに、
「今ならのり巻き3皿はいけるよ」
などと、よくこの言い回しを好んで使っていました。
とてもつらい時期だったので戻りたくはありませんが、思い返すと懐かしくなります。
友達と朝まで寝ずに真剣に話し合ったり、大笑いしたり。
なんだかつまらない話を書いてしまったようです。
ちょっと今、中原中也の本を開いてみて、今読んだらどんな印象に変わっているのかと気になってしまいました。
時間があったらまた少し読んでみようかしら。
気が付くと、私も彼よりも年上になっていたのですね。
さて本題です。
実家に帰った理由はと言いますと、もちろん七輪焼きです!
今回は、波乱の七輪となりました。
・・・あ、前置きが長過ぎて、もうページが足りません。
ではでは、七輪の冒険談はまた後日ということで。
失礼しました。