一応、作ってはいるのです。
久々の鉢作りの記事な気がします。
その時のテンションで、手間をかけてみたり、ちょっと遊んでみたりしながら作っていますが、はかどっている気がまったくしません。
おまけに白土をやったり、赤土をやったりで、できたら磁器も試したいなどと子供のように欲張ってあれもこれもと考えてしまっているので、なんだか思いが散り散り。
どうにかしなきゃと考えはしますが、しばらくはこのまま突っ走りたい気もあったり。
支部展のことで気を揉みながらですので、なんだか落ち着かない日々です。
これは焼き締め用。
形としては、以前似た形の釉鉢を作ったので、2回目ですね。
前回と比べて上手くはなっていないようですが、削る時間はだいぶ短くなったような?
自分で使うには大きいので、上手く焼けたら売り物にします。
もう少し深く作ればいいのに、私は何故か薄めに作ってしまいます。
先日は七輪焼きの温度を勢いよく上げ過ぎて、焼いた鉢の3分の1が割れてしまいました。
焦らずに、焦らずに。
面白く焼けてくれますように。
そして、こちらは誠鉢の青閑モデル。
素焼き後です。
この後釉をかけて本焼き。
本物の青閑が買えないので悲しくなって、自分でそれっぽく作って慰みにしようと、悲しい思いで作ったので、馬の表情もどこか悲しげになってしまいました。
こういう鉢を売り物にすると、本物を愛する女将に幻滅されてしまうので、自分でこっそり使おうかな?
本焼きが終わった後考えます。
この2枚みたいな鉢は、まだ私にとっては時間のかかる鉢の類ですので、今の状況ではたまにしか作れません。
それが自分の鉢作りにとって正しいことなのかどうかわかりませんが、失敗続きの中でほんのひとかけら、何かをつかんでいるような感覚もある気がします。
成形から焼成まで、全て自分で挑戦し始めて間もない私。
それも、どこかに習いに行ったわけでもなし。
そんな私が勢いで販売を決めてしまい、支部展売店だけのつもりが、8月からの一木一草話in新宿OZONEの品まで受けてしまい、6月も終わる今、いささか不安になってきました。
何もかもを捨てて、どこか遠くへ逃げてしまいたい気持ちです。
どうか、私を探さないでください。
春に挿した町採りのツタを鉢にねじ込む
去年のことですが、道端の植え込みに芽を出していたツタを引っこ抜いてきて、いえ、失礼、そこではいずれ枯れてしまうだろうと助けてあげて、自宅でポットで育てていたら、立ち上がりを短くしたら面白くなりそうになり、この春に幹の途中で切って、上部を挿しておきました。
その後も順調で、10日程前、根を切らずに小鉢に移すなら今かな?と思い、ポットから出してみると、きれいな根張りで発根していました。
根が伸び過ぎていないタイミングでしたので、無事、根を切らずに小鉢におさまりました。
何に使うか迷っていた鉢でしたが、サイズも色も丁度良い感じ。
気に入りました。
春夏の爽やかさを楽しませてくれそうな組み合わせですね。
幹はこんな感じ。
生意気に子幹があるんです。
さあさあ、古くなあれ、古くなあれ!