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夕立の記憶

 最近、うちの裏の、樹が茂るよそ様の庭のほうからキンモクセイの香りがしてきます。
 不思議なもので、昼間、視界がはっきりしている時よりも、夜の涼しい時間帯のほうが、匂いがより鮮明に感じます。
 ある感覚を抑えると、別の感覚がはっきりしてくるという人体の仕組みのせいでしょうか。
 明るい部屋で聴く音楽と、暗い部屋で聴く音楽は、、まったく音が違って聞こえます。
 

 空気はたしかに秋のそれと変わり、体感的にも秋の気配。
 もう夏も終わりが見えてきたかのような、そんな気候です。

 ところで、最近よく思うのですが、「夕立」という言葉を聞きません。
 私のまわりでは皆、口を合わせたかのように「ゲリラ豪雨」というのです。
 そこで、ちょっとその違いを調べてみました。

『ゲリラ豪雨は一般の気象用語ではありません。
 一部のマスコミと気象会社が使っている用語です。
 正しくは、局所的大雨、局所豪雨といいます。
 名前の通り、狭い範囲に降る大雨のことです。
 
発生は、雷雲によるもので、その意味では夕立と同じです。
 夕立は、それほど雨量が多くならない雷雨、といっていいでしょう。
 正式な定義はありませんが、局所的大雨、局所豪雨と呼ぶ場合は、
 道路の冠水、住宅の浸水、下水や小さな河川の氾濫などの災害を伴うほどの
 雨が降った場合に、そう呼びます。
 簡単に言うと、災害を伴う雷雨は、局所的大雨、災害が出ない雷雨は夕立、
 といっていいかもしれません。
 
災害が出ない程度の雷雨は、降った後暑さが和らぎ、野菜などには慈雨ですが、
 災害が出るような雷雨は、やはり恐怖ですよね。
 
雷雨の発生原因はいろいろありますが、
 一般には、気温が高くなって上昇気流が発生して、雷雲に発達するのですが、
 局所的大雨となる雷雲になるには、気温の上昇だけではなく、上空に冷たい空気が
 入ってくる、海上から暖かく湿った空気が大量に入ってくる、などの条件が加わります。
 
ですから、局所的大雨が発生しやすいかどうかはある程度予測できるのですが、
 何時、どこで発生するか、と言うことは、残念ながら今の予測技術ではそこまで
 予測できません。
 そのために、気象レーダなどで、雷雲の発達状況を監視して、直前の情報を
 発信する、と言う方法がとられています。』(tenki.jp)

 ゲリラ豪雨は狭い範囲に突然降る大雨、それはわかるのですけどね。


 なるほど・・・しばし考えて、わかってきました。何故私がこのことに執着することが多いのか。

 名前が格好悪いのです笑。
 「ゲリラ」という言葉が天気に使われていることに面白味を感じません。

 それと私、「夕立」というものに、特別な思い入れがあるみたいです。

『うだるような夏の午後、ふっと空が暗くなったかと思うとどこかで雷鳴が聞こえ出す。冷たい風がさっと吹いてきて水の匂いがし、「来るな」と思うやいなや、ざあっと激しい雨が降り始める。家にいる人は慌てて洗濯ものを取り込み、道行く人は雨宿りに走る。ひとしきり降ると、雨は嘘のように上がり、涼しい夕方がやってくる。
 
これはごく典型的な例であるが、日本の多くの地域で夏のあいだ繰り返されるこうした体験が、日本の夏の風物詩としての夕立である。』
  ウィキペディアさんにはこう説明されていました。
 めずらしく良い文章じゃないですか笑。

 うん、もしかしたら、夕立って本当に、「体験」なのかも知れないですね。

 砂っぽい雨の匂い。
 私にとって、夕立といえば、これこれ。

 夏の強い日差しで乾き切った地面に突然雨が降ると、雨にまじって砂の匂いがします。
 この匂いの感覚は、匂いの記憶と結ばれていて、思いは少年時代の視覚的にはぼんやりとした、しかし嗅覚としては妙にはっきりとした記憶を、束の間泳ぎます。

 子供というのは小さくても、案外多くを感じ、多くを考えているものですね。
 その中でも嗅覚が関わると、その記憶は更に深いところへ保存されるかのような印象があります。

 さて、話を戻しますと、このような、感覚の記憶と思いが詰まった夕立が、私は好きです。
 もしかしたら、好き嫌いとは別の次元のものかも知れませんね。
 だからゲリラ豪雨なんて味気ない言葉に夕立が浸食されることに、少し淋しさを感じるのでしょう。


 夏が過ぎ去ってしまう前に、ちょっと斜に構えてみました。


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